「あ」
「え?」

それは仕事の帰り道でした。
ああ、ちなみに帰りと言いましても、自宅ではなくアジトです。
今まで仕事のため外出していたのです。

それでそのアジトへ戻る途中だったのですが、何やら見覚えのある背中を見つけました。
既に日が暮れていていますが、ネイビーグリーンの髪が、白い蛍光色に無機質に照らされています。
ああ、あの髪色は。
何やら上司の一人に、よく似た色です。
しかし私はどうにもその方が苦手です。
直接的な上司ではないのですが、同僚の話を聞く限り何やら怖い方なのです。
反面女性にはやたらと人気があり、何だか住む世界がまるで違うようにしか思えません。
遠目ながらに姿は何度も見ているので、見間違いはないでしょう。

その背中は先ほどからずっと道に立ち尽くして、ビクともしません。
何なのでしょう。
通り過ぎるのも気まずい気がして、思わず立ち止まりました。
同時にその方がその場にしゃがみこんでしまい、私はもしかしたら具合が悪いのかもしれないと駆け寄ったのです。

そしてその結果が冒頭の第一声なのです。


「ランス、さん?」
「!」

少しだけ見開かれた瞳が、こちらに向けられました。
やはりその綺麗なお顔はランスさんです。
どうしたのですか、と。
問おうとして、しかしその方が身を屈めて両手で抱き上げている小さなものに言葉が詰まりました。

「……え、フワンテ?」
「!」

何故。
ランスさんの両手にちょうど収まっている、丸く小さなそれはフワンテでした。
黒々とした丸い瞳が瞬き、不思議そうにランスさんの顔を見ています。
当のランスさんはと言いますと、私を訝しげにまじまじと見つめ、そして突然ものすごい勢いで立ち上がりました。
勢いのあまり、ちょうどしゃがみこんでいるランスさんを上から覗き込むように見ていた私の顎に、見事な頭突きがヒットします。
ゴツッという鈍い音が響きました。

「い、いた、痛い……」
「あ、貴女……!」
「は……え、ちょっうわ」

顎をさすっていますと、今度は服の襟元をガシリとランスさんの手が掴み上げます。
首が締まるので、できれば止めていただきたいのです。
しかしそんな私をよそに、フワンテを片手に抱えたランスさんは、何やら焦っていた様子です。
思えばランスさんの手持ちには、フワンテはいません。
ではその子は何なのでしょう。
しゃがみこんで見ていたのは、このフワンテなのでしょうか。
え、では、ランスさんはフワンテを拾……。

「違います」
「あの、でもフワンテ」
「違います。これは今ちょうど風に流されてきて私の服に引っかかったのです」
「でもしばらく立ち止まって、おまけにしゃがみこんで見てたじゃな……ちょ、く、苦しっ首、首絞まってます……!」
「お黙りなさい!」

ええええ。
片手でガシリと首を掴み、もう片方ではしっかりとフワンテを掴んでいます。
しかしそれを指摘しますと、私の命に関わりそうです。
素直にすみません黙りますごめんなさいと口にして、やっと私は解放されました。
私はきっと、早く立ち去るのが良いのでしょう。
思って「これで失礼します」と頭を下げますが、どういうわけか再びガシリと襟元を掴まれます。
えっと思い顔をひきつらせますと、顔面に何かを投げつけられました。
フワンテです。

「貴女がどうにかなさい」
「え」

どうにかって。
フワンテを拾ったのはランスさんですよ。
どうすればいいのでしょう。
聞くにもまた首を絞められては困るので、私はフワンテを抱えて黙り込みました。
ランスさんはこれ以上ないほど顔を歪めて去っていきました。


***


とりあえずフワンテを連れ帰った私は、翌日、その子を連れて上司であるラムダさんのもとへ相談しに行きました。
ちょうどアテナさんもご一緒で、何やら休憩中のようです。
ちなみにフワンテは足…でしょうか、ヘリウムガス風船の糸に似た部分を、私の指に絡めてフワフワと宙に浮いています。
本当にただの風船のようです。

そしてフワンテを連れている理由を一通り話し終えると同時に、ラムダさんとアテナさんは爆笑し出しました。

「あのランスが……くくっふ、あはははははは!」
「え……」
「私も見たかったわその姿!」
「あの」

これは。
ランスさんはバカにされてるのでしょうか。
何やらどうしていいかわからず二人を見ていますと、ひとしきり笑った後にラムダさんが言いました。

「あいつなあ、あれでいて冷酷なんて言われてるからなあ……」
「でも飛ばされてたフワンテを拾ってます」
「くくっだよなあ」
「ランスにまさかそんな可愛い面があってなんて」
「小動物に優しい好青年じゃないんですか?」

その一言に、二人は再び爆笑します。
私はどうにもランスさんに対する定まった印象がないので、笑う要素がどこにあるのかわかりません。
とりあえず指に絡めてあるフワンテの足を引いて、フワンテの瞳を見ては首を傾げしました。
無邪気に笑うフワンテが可愛らしいです。

「まあいいや。とりあえずそのフワンテ、もし空きスペースがあるならお前の手持ちにしたら?」
「え、いいんですか?」
「お前、前にフワンテ欲しがってたろ。ちょうどいいんじゃねぇの?」
「知ってたんですか?」
「お前の上司だぜ?」
「あはは。でも本当に私がもらっていいんでしょうか。もしかしたらランスさんが」
「いい。オレが許す」
「はあ……」
「何だか頼りない幹部ね、ラムダ」

アテナさんはクスクス笑いながら言いました。
すると不意に部屋のドアが開きます。
「騒がしいですよ」という落ち着いた声音と、青みのある銀色の髪に、私は慌てて頭を下げました。
最高幹部のアポロさんです。
下っ端なんかがお顔を拝見しようものなら、目を潰されるとまで言われているお方なのです。
まさかそんな方の姿をこんな機会に見る日が来るなんて!
頭を上げた瞬間に首が飛ぶんじゃないかと、心臓をバクバク鳴らせながら頭を下げていますと、ラムダさんが私を「俺の部下だよ」と軽くアポロさんに紹介してくださいました。

「そんなに畏まる必要はありませんよ。頭を上げなさい」
「は……はあ……」

緊張のあまり、何やら気の抜けた返事になってしまいました。
お言葉に甘えて恐る恐る拝見したお顔は、思っていたよりもずっと穏やかそうな、綺麗な顔立ちです。
何だか安心しました。

「ところで」
「!」
「その変わった風船はどこでもらったのです?」
「え、あ、これは」
「ランスが拾ったポケモンらしいわよ。偶然居合わせたこの子に押しつけたのよ」
「拾った」

不思議そうにフワンテを見つめながら、アポロさんは「風に流されてやってきたのでしょうね」と指先で突っつきました。
フワンテは風船のように揺れる感覚が面白いのが、喜んだような鳴き声を上げます。

「捨て犬ならぬ捨てフワンテ、ね」

再びラムダさんが笑いながら呟きますと、アポロさんは「犬は好きですよ」と笑いながら言いました。

「犬がお好きなのですか」
「ええ。従順に主に従う姿は聡明で凛々しい」
「凛々しい」
「はい。それに」
「?」



「犬は、炒めて食べると美味いらしいです」
「……」



ものすごいスピードで、アポロさんのモンスターボールからヘルガーとデルビルが飛び出してきました。
そしてすかさずアポロさんから十分な距離を取って、怯えています。
気持ちがわからなくもないです。

「……冗談ですよ」
「怖ぇよ。真顔で冗談言うなよ」
「アポロ、あんたタチが悪いわ」

怖くても冗談が、言えるのが最高幹部様らしいです。
「な」とラムダさんに同意を求められ、苦笑して曖昧に返事をしました。
それにしても、ここまで来てやはりランスさんが今だに私にはわからない人です。
アテナさんとラムダさんに聞いてもよくわからなかったなら、アポロさんならどうでしょう。
せっかくなので聞いてみようと口を開きますと、再びドアが開きました。

「! 噂をすれば何とやらだな」
「あらランス」
「幹部が揃いも揃って、何をしてるのですか」


ピクリと眉が跳ね上がります。
怒っているようです。
それにアポロさんは苦笑しますが、他のお二人は笑います。
それにランスさんの顔は歪みました。

「だいたい目的を達成することに対する考えや感覚が甘いんですよ。何のための幹部ですか。もう少し自覚を持って下の者、を……」
「……」

ランスさんと、目が合ってしまいました。
私の隣でフワンテがフワフワと揺れます。

「あ、あの、昨日のフワンテ」
「!?」
「連れてきたのですがどうすれば」

そこまで言うと、ランスさんの顔が不意に赤くなります。
そして突然こちらに寄ってきて、ガシリと私の頭を掴みました。

「何故この人たちに見せたのです」
「え…あの、どうしていいかわからなかったので、相談……い、いたたたたただ!」
「……!」
「あの、か、返します。フワンテ返します」
「いりません! 私のではありません!」
「そ、です、か、いた、痛い痛いいたた」

離してください。
お願いします。
頭蓋骨を握り潰す勢いで掴まれては適いません。
アポロさんが呆れながら「離してあげなさい」と言ってくださらなければ、私はきっと病院送りだったに違いありません。
フワンテとアポロさんを交互に見ながら、思わずホッとため息をこぼしました。
すると再びランスさんが凄まじい睨みを飛ばしてきます。
反射的にフワンテを抱き締めました。

「何です。その態度は」
「あ、いや、本当にフワンテ」
「いりません」
「でもあの時拾って」
「拾ってません。引っかかったのです」
「でももしランスさんの戦力になるべきポケモンならお返ししますから、あの」
「そのポケモンは貴女にあげたのです!」
「え」
「!」

言って再びランスさんの顔が真っ赤になります。
意味がわからず聞き返しますと、そのまま背中を向けられてしまいました。
その様子にフワンテがランスさんの方へと飛んでいきます。
そしてフワンテがランスさんの顔を覗き込みました。
同時にランスさんの手が伸びて、フワンテをガシリと掴み、そのまま豪速球の如く私目掛けてぶんなげました。
それは見事に鳩尾にクリーンヒットです。ストライク。
とても痛いのです。
しかしさっさと背を向けてランスさんは部屋を出て行ってしまいました。
鳩尾にフワンテを決め込まれ、悶える私にアテナさんが優しく声をかけてくれます。
アポロさんは再び苦笑しています。
ラムダさんは何とも言えない笑みを浮かべたあと、言いました。




「ああ、そういやあいつ、お前のこと結構前から知ってるんだぞ」
「え?」
「ありゃあ気に入られたな」
「!?」








20100723
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